第2話 異世界帰還
千乃の真っ白なハイヒールで逆リョナされる玩具たち
龍泉寺千乃が事故に遭い、意識不明のまま約一年間の眠りについて、こうして無事目を覚ましたが、実際にはやや正確ではない。
転生した時点で、千乃は元の世界では死んでいた。
そしてあちらの世界で生まれ変わり、生き残るために何でもした。
およそ人の為せる悪に連なることは、全てやってのけたと言っていい。
結果、戦乱で混沌としていたあちらの世界は、千乃の手によって平和になった。
恐怖による支配の名のもとに。
力を蓄え、当時の魔王に近づき、これの寝首をかいて、勇者をも敵に回し、世界全てを敵にしながらこれに勝利して、あの世界は千乃に屈したのである。
神にも等しい存在になった千乃に、あの世界で叶わないことは何もなく、できないことも何もなかった。
全知全能。
そんな感じである。
そんな千乃であったが、望みはずっと変わっていない。
元の世界に戻ること。
正確には愛しい妹の元に帰ることである。
あちらの世界を掌握したことで、存外簡単に戻ってくることができた。
ただし、やや時間的なズレが生じてしまい、約一年後の帰還となってしまったのである。
ところがこちらの世界では、自分はすでに死んだことになっていた。
それでは困る。
そこで千乃は精神系の魔法を使い、自身の存在を都合よく、この世界に上書きしてみせたのである。
それで千乃は一年間、昏睡していたということで、この世界では通っている。
時間的なことだけはどうしようもなく、結果、進級できるはずもなかったことを逆手にとって、年子である詩乃と同じ学年として、高校に復学することにしたのだった。
そしてそのような事情から、この世界でも十分に、自分の力が振るえることを、千乃は自覚していた。
恐らくこの世界に、自分に敵う存在などいないだろう。
それはいい。
問題は、加減が難しいということだった。
とにかくこの世界の住人は、脆くていけない。
向こうの世界の自分の配下だった者たちならば、気紛れに蹴り飛ばしても、まず死ぬことはない。
その程度には頑丈だった。
ところがどうだ。
こっちではそうはいかない。
ちょっと力を込めただけで、簡単にぐしゃぐしゃになってしまうのである。
これでは虫けら同然だ。
この前、愛する妹につまらない虫がついていたのを見た瞬間、つい手が――というか、足が出てしまった。
状況を把握する間も無くミンチにしてしまい、あとで反省したものである。
「これでは、詩乃に笑われますね。少し、練習しましょうか」
ぼんやりと授業を聞き流しながら、千乃は思う。
昨日、三人が無惨な最期を遂げたというのに、今日はまるで話題にもなっていない。
みんな、三人のことなど忘れてしまっている。
この程度の記憶操作など、児戯にも等しい。
別段、騒ぎになろうとどうでも良かったが、詩乃にいらぬ迷惑がかかるのを避けた結果だった。
すでに千乃は、この世界を詩乃にあげるつもりでいた。
そのためにはある程度、詩乃にも強くなってもらわねばならない。
一度に力をあげれば簡単だが、それでは扱いに困るだろうし、この程度の世界ではちょっとした力加減の間違いで、すぐにも壊れてしまうだろう。
そしてそれは自分も同じこと。
そう思い、しばしは練習に勤しむことにしたのだった。
※
「――心配してたんだぞ」
昼休み。
上級生がやってくると、千乃を連れ出していた。
「秋山君?」
きょとん、と小首を傾げる千乃。
秋山東司。
千乃の上級生、には違いないが、元同級生でもある。
「せっかく復学したのに、顔も出さない。連絡も無い。さすがに傷つく」
「傷つく? どうしてです?」
またもや疑問符を浮かべる千乃に、東司はさらに傷ついたような顔になった。
「……俺たちって、付き合ってなかったのかよ……」
「ああ」
そういえば、と千乃はようやく思い出していた。
そんなこともあったかもしれない、と。
「そういえばそうでしたわね。てっきりわたくしのことなど、もうお忘れになっていたのかと思っていました」
「馬鹿言うなよ。俺がどんだけ覚悟決めて、告白したか分かってる?」
そんなことなど知る由も無いし、興味も無かったが、千乃は申し訳なさそうな表情を作って、場違いなほど丁寧に、頭を下げたのである。
「申し訳ありません。妹のことで、頭がいっぱいでしたので」
「……そこは変わらないなあ」
千乃と東司が付き合うようになって、実はさほど日は立っていない。
二ヶ月もしないうちに、千乃が事故に遭ってしまったからである。
とはいえ当時、二人のカップル成立は、校内でも随分話題になったものだった。
片や名家のお嬢様。
見た目は怜悧で美しく、どう見ても高嶺の花。
一方は何の変哲も無い庶民。
何が優れているわけでもなく、とにかく普通の相手だったからだ。
それがよくもまあ、と。
そういえばどうして自分は承知したのだろうと、千乃は今更ながらに記憶をたどってみるが、よく思い出せない。
まあどうでもいい。
それよりも、だ。
「とにかく無事で良かったよ」
「はい。もう何ともありません。ご心配をおかけしました」
型どおりの礼を述べたあと、千乃は意味ありげに東司を見返す。
真っ赤な舌が、一瞬だけ唇を舐めるのが見えた。
それだけで、東司はどきりとなってしまう。
「ではお詫びをしたく思います。秋山君、わたくしの家にいらっしゃいませんか?」
「え?」
思わぬ申し出に、東司は驚く。
「いや、でも親父さんやお袋さんが」
「あれ、以前申し上げませんでしたか? 父は基本、海外ですし、母は父の代わりに東京の本社に詰めていますから、実家にはわたくしと妹だけなのです。ああ、家政婦ならいますけど」
「そう……だったっけ?」
「そうですよ」
にこりと、千乃は微笑む。
「是非、いらして下さいな。おもてなしをさせていただきますので」
「で、でも……いきなりじゃ悪いんじゃ」
「そんなことは気になさらなくていいのです。夕餉は任せて下さいな」
その天使のような微笑の前に。
東司はそれを拒絶することなど、できるはずもなかったのである。
※
「――――え?」
目が覚めて、東司は訳が分からずに声を上げていた。
薄暗い部屋。
広さはかなりなものであるが、一つも窓が無い。
まるで地下室とか、そんな感じの場所である。
「――な、え?」
東司は身体を動かそうとして、じゃり、と金属的な音と共に身体がつんのめる。
「は……?」
見れば両腕が、天井からぶら下がった鎖によって拘束されていて、びくともしない。
そして自分自身は膝立ちの状態で、まるでこれから拷問でも受けるかのような状況であった。
コツリ、と甲高い音がして、東司は視線を先に向ける。
そこには千乃がいた。
いつもの制服姿とは違う、見たことも無いような衣装をまとって、東司を睥睨している。
「龍泉寺……?」
「目が覚めたんですね」
声音はいつもと変わらない。
でも姿は明らかにいつもと違っていた。
千乃は一見、白を基調としたドレスのようなものに、身を包んでいる。
シンプルではあるが、どこか現実のもとは意匠の異なるもので、それが異世界の彼女の準正装であるとは、当然東司は知らない。
そしていつもの制服とよく似た黒のストッキングに、真っ白なパンプス。
そのパンプスはポインテッド・トゥと呼ばれる爪先の尖ったシャープなもので、踵も十センチ近くはあろうかとうハイヒール。
丈の長いドレスは脚のほとんどを隠してはいたが、黒の脚線美を浮き上がらせており、彼女が理想的な美脚の持ち主であることは疑いようも無かった。
その姿はあまりに美しく、一瞬、東司は自分の境遇も忘れて見惚れてしまったほどである。
「ああ、この姿ですか?」
微笑んで、千乃はドレスの裾をちょん、と摘まむとそのまま優雅に一礼してみせる。
「あちらの世界での、わたくしの普段着、みたいなものです。この服ですと、魔法的な加護がかかっていますので、汚れを気にする必要もありませんから」
「な、何を言ってるんだ……?」
「先日、何人かひとを殺したのですけれど、返り血で制服が使い物にならなくなってしまったんですよ。迂闊でした。ですからこちらの服も加護のあるものに仕立て直していくつもりではあるのですが、昨日の今日ですし、とりあえずは手持ちのもので良いかと思いまして」
「は……?」
「けっこう便利ですよ?」
千乃がヒールを鳴らして、一歩横にずれる。
それまで東司の視界いっぱいにあったドレスが消えて、それに隠されていた向こうの視界が露わになって――頭が真っ白になった。
まず飛び込んできたのは、赤。
そしてピンク色の何か。
それがひとの残骸だったことに気づくのに、数秒を要した。
「う――げええええええっぁ!」
「あらあら」
目の前で嘔吐物を撒き散らした東司へと、千乃は冷たい視線を送る。
「せっかくフェルステアが作ってくれた食事なのに、全部吐き出すなんて少し失礼ですよ?」
「げえっ! がぁ、うぐぅあ……っ」
えづく東司をしばし見守っていた千乃は、まあいいです、と肩をすくめてみせた。
「落ち着くまで、しばらくそうしていて下さい。わたくしは……こちらを先に片付けてしまいますので」
散らばる残骸の中には、明らかに一体、まだ原型を保ち、生きている者が残っていた。
千乃の瞳はすでにそれを視界に収めている。
流れ出ている大量の血液や、臓物を避けることなく踏みつけながら、千乃はその生き残っていた男へと歩み寄った。
「少しでも逃げればよろしかったのに、もう諦めたというわけですか?」
千乃の右足がふっと持ち上げられる――そして無造作に、男の身体へと一歩、踏み込まれる。
踏みつけられたのは、ちょうど腹の部分だった。
まずヒールがさしたる抵抗もなく肉を突き破り、その白いハイヒールに赤い飛沫を散らす。
そして爪先に体重を移動すれば、これもすぐさまひしゃげ、背骨だった部分が砕け散るおぞましい音が地下室に響く。
「ぎゃああああああああああっ!?」
千乃が力を込めた様子はまったくなかった。
ただ軽く、その身体の上に乗っただけ。
にも関わらず、男の身体はまるで新雪の如く、ハイヒールの足跡を刻印されてしまったのである。
「……ああ、忘れていました」
踏みつけられた足をどかそうと、男は必死になって千乃の足にしがみつき、力を込めるものの、まったくびくともしない。
一方の千乃といえば、小さく舌を出して苦笑したものである。
「つい以前のくせで、体重増加の魔法をかけたままでした。これではひとたまりもありませんね?」
千乃はよく、自分自身の体重を十倍程度に増加させる魔法を自らにかけ、蹂躙するくせがあった。
重量、というのはそのまま力になる。
今の千乃の体重は軽く数百キロを超えており、軽く踏みつけただけで、人体など抵抗もなくぺしゃんこになるのは当然の話だった。
実際、よく見てみれば、千乃の履くパンプスのヒールの接地部分には、一点にかけられた重量に耐えきれず、コンクリートに微細なヒビを作り始めている。
ごく一般的な女性が履いたハイヒールでさえ、立派な凶器になり得るというのに、今千乃が身に着けているものは、まさに最悪な凶器であったといえるだろう。
「秋山君。断っておきますけれど、わたくし、本当はそんなに重くありませんからね? 変な誤解をしたら殺しますから」
冗談めかしてそう釘をさす千乃であったが、東司に答える余裕などあるはずもない。
ガクガクと震えるなか、しかし千乃はさほど気にした風もなく、しがみついてくる男へと視線を転じていた。
「あまり触らないでくれますか。汚れます」
バギッ――
ドレスの裾を両手で摘まみ上げたと思った瞬間、その膝が男の下あごに容赦無く命中し、顎はもちろん、歯や頭蓋の半ばに至るまでを破壊させる。
そしてそのままのけぞったように倒れるまでの僅かな間に、もう一度、千乃の左足が動いた。
ぐじゅっ――
今度はパンプスの爪先が、半壊していた頭部に突き刺さり、そのまま引き裂いて、辛うじて詰まっていたものを所かまわず撒き散らす。
そうして、その男だったものは、他の残骸の仲間入りを果たしたのだった。
「……はあ。やはり虫けら程度では、何も感じるものはありませんね。ただ汚れるだけです」
つまらなさそうに足元の死体を足蹴にした千乃は、そこで振り返り、意味ありげに東司を見返す。
さきほどまで真っ白だった彼女の衣装は、パンプスを始めとして赤く染まっていたが、一歩、二歩歩くごとに、嘘のように返り血が落ちていく。
そして千乃は再び東司の目の前に来た時には、ドレスの返り血の一切は消えていたのだった。
ただし、ハイヒールに付着した血痕は除いて。
「でも、わたくしの彼氏君ならば、少しは感じることもできるんでしょうか。実は少し、期待しています」
「こ、こ、こ……」
「こ?」
「ころす、殺す、気なのか? 俺のことも……!?」
そんな東司の怯えた問いに、千乃はきょとん、となる。
「秋山君はわたくしの彼氏君なんでしょう? そんなわけないじゃないですか。今もこうやって、手加減を間違えないように何人かで練習したんですよ? わたくし、それなりに優秀ですからばっちりです」
「れ、練習って……」
見る無残な死体を思い出し、東司はまた吐きそうになるが、すでに出すものなど何も残ってはいない。
「――それに」
千乃の視線が、東司の顔の、やや下に注がれる。
「そんなに大きくして……ふふ、やはり秋山君はこういうの、好きなんですね? 少し納得できました。どうして以前のわたくしが、秋山君のことを承知したのか不思議だったのですが、きっと相性がいいことが分かっていたんですね」
「な、うそ……だろ? なんで……?」
裸にされて鎖に繋がれるという背徳的な状況の中にあって、東司の股間にあるモノだけは、びくびくと脈打ち、そそり立っていたのである。
訳が分からない、と混乱するが、どうにもならない。
「ですけれど、まずはわたくしを愉しませて下さい。虫けらを卒業して奴隷になることができたならば、正式に彼氏君認定です」
「で、できなかったら……?」
「そんなもの。今、十分に目に焼き付けたでしょう?」
肉塊になると言外に告げられ、絶望感が襲う。
しかしそんな東司の気など知らず、千乃はどこからともなく魔法のように取り出した瀟洒な椅子に座ると、優雅に足を組み、血に塗れたハイヒールの爪先を、彼の鼻先へと突き出したのだった。
「まずは綺麗にして下さい。そのために、わざわざ汚れを落とさなかったのですから、ね」