第1話 龍泉寺千乃と詩乃
龍泉寺姉妹にローファーで踏み殺される男子生徒たち
十月八日。
その日、龍泉寺千乃は一年ぶりに登校していた。
日中はまだまだ暖かいものの、そろそろ肌寒くもなってくる季節である。
そんな微妙な頃合いの風が、通学路を歩く千乃の長い黒髪を揺らしていた。
一目で分かる、美少女である。
背中をぴんと伸ばし、しずしずと歩く様は、まさに令嬢のそれだ。
事実その通りで、彼女はこの土地一帯では知らぬ者がいないほどの地主であり、名家でもある龍泉寺家の長女であった。
そして一年前、この通学路で事故に遭い、意識不明のまま生死をさまよっていたことも、この辺りでは知らぬ者はいない。
「なんだか不思議な気分。お姉さまと同学年だなんて」
そんな感想を漏らすのは、千乃の隣を歩く少女だ。
顔立ちは千乃に良く似ており、同じく美人であったが、やや勝気な雰囲気を持っている。
「わたくしもです」
くすりと笑んで、千乃も頷いた。
「まさか詩乃に追いつかれちゃうなんて、ね」
「だってお姉さまってば、一年も寝ているんだもの」
「あら、目覚めない方が良かったかしら」
「そんなわけないでしょ」
「ふふ。ありがとう」
他愛も無い会話を交わしながら、歩みを進める姉妹。
何てことの無い登校風景。
それは確かに、千乃が望んだものであった。
※
一年前。
龍泉寺千乃は死んだ。
そして転生してしまったのだ。
いわゆる異世界とやらに。
その異世界において想像を絶する苦難と辛酸を味わった千乃であったが、それはもうどうでもいい。
無事に帰還を果たし、こうして望み通り、妹と一緒に登校する夢が叶ったのだから、ひとまずは十二分に満足できていたのだ。
そしてしばらくは、こののんびりした平和を甘受しようと思っていたのであるが、なかなかどうしてそうはいかなかったのである。
※
放課後。
妹と一緒に帰るべく、しばし校門で待っていた千乃は、幾度か時計を確認して小首を傾げていた。
「遅いなあ」
ずっと休学扱いであった千乃の方が、今後のことや何やらで帰りが遅くなると思っていたのに、実際には詩乃の方がまだ姿を現さないでいた。
こんなことなら教室を覗いていけば良かったと思いつつも、今さらだったのでもうしばし待つことにする。
来ない。
ちょっと変であると、千乃は思う。
(……この世界では使うつもりはなかったのだけど)
そう思いつつ、意識を研ぎ澄ませる。
常人にはありえない知覚により、妹の気配を捜してみる。
(ん……いた。でも、体育館?)
すでに下校している生徒は多い。
部活動は行われているが、妹は帰宅部だったはず。
体育館にいる道理がよく分からない。
しかもこの位置は……体育館というよりは、その裏手だ。
おかしな場所である。
おかしい、と思った瞬間に、千乃はその場から消えていた。
※
「なあ……そろそろいい返事、聞かせてくれよ?」
三人の男子生徒に囲まれて、詩乃は気丈さを失わずに相手を真正面から見返す。
「何度も言わせないで。お付き合いは断ったはずよ? 神下くん」
「そう言わずに考え直してくれよさあ」
龍泉寺詩乃がこの高校に入学して一年もたっていないが、それまでの間に彼女が言い寄られた経験はもはや両手の指では足りないくらいだった。
それほど男子の人気のあった彼女であったが、これまで特定の相手は作ったことが無く、断り続けている。
恋愛に興味が無かったわけではなかったが、生死をさまよっている姉のことを考えると、どうしてもそういう気分になれなかったからだ。
「なあ、お前たちからも頼んでくれよ?」
神下と呼ばれた少年に言われ、後ろに控えていた少年のうちの一人が肩をすくめてみせる。
「無理だぜこいつ。いつもお高くとまってて、おれら庶民のことなんて眼中にもねえって感じだし」
そう言うのは詩乃と同じクラスメイトである、脇屋聡だ。
神下彰房の腰ぎんちゃくの一人として、学年では割と有名である。
「実際、お嬢様だしさあ」
そう頷くのは、田宮和利。
神下と同じクラスの男子生徒である。
「まあ、美人さんだけどさ。ヤりたいってのは分かるよ。おれも思うし」
「馬鹿野郎。こいつは俺の女だ」
「むりむり。おれたちには高嶺の花。欲しけりゃむしり取るしかねえわな。だいたいそのつもりでここに連れ込んだんだろ?」
不穏な会話がなされる間、詩乃は絶望感に苛まれながらも動けずにいた。
悲鳴の一つでもあげればいい。
でもできない。
自身の矜持が邪魔をする。
「くく。やっぱりな。こいつ、プライドだけは人一倍だから、逃げるとか、助けを求めるとか、そーゆうのできない損な性格なんだよ。ああ、むかつくなあ」
脇屋の言葉は正しい。
詩乃にとって、自身の性格が災いしているとしか言いようがないが、しかしどうにもできない。
「大丈夫だって。ちゃんとゴム持ってきたし」
「…………こんなことして、ただですむと思ってるの……?」
瞳に涙を溜めてどうにか言葉を絞り出す詩乃に、神下は愉快とばかりに笑う。
「ああ、お前みたいな女でも泣くのな。いや、ちょっと安心したよ。ヤり甲斐があるってもんだ。おい、お前らちょっと見張って――」
神下が最後まで言葉を言い終わるよりも早く、何かが顔にかかってそれをとどめた。
生暖かいもの。
「……何をしているんですか?」
そして凍えた声が響いた。
「は……?」
横手に視線を向ければ、そこにはいつの間にか、女子生徒が立っていた。
詩乃とよく顔立ちが似ているが、こちらの方がやや大人びており、髪もかなり長く伸ばしている。
「何をしているのか、と聞いているんです」
ベギャン!
神下の目の前で、脇屋だった人体がひしゃげていた。
その女子生徒に無造作に足蹴にされた結果、狭い体育館の裏のコンクリートの壁に、冗談のようにめり込まさせて。
「な――は、オゲエエエエぇっ!」
猛烈な臭気と惨状に、神下はたまらず昼間に食べたものを全て吐き出していた。
ゆっくりと足を戻していた女子生徒――千乃の履いていた血塗れのローファーに、胃液が数滴飛び散る。
「……汚い」
それを千乃が見た瞬間、神下は終わっていた。
振り上げられた右足が神下の股間を直撃し、引き裂いて、ぐしゃぐしゃにしてしまったのである。
血の雨。
そんなものを撒き散らしながら、その雨に打たれてやや冷静さを取り戻したように、千乃は吐息を吐き出していた。
「……人間は脆いんでしたね。忘れていました」
「あ、あ、ああああああ」
一人生き残った田宮はすでに腰を抜かし、失禁し、がくがくと震えるしかない。
それを生ゴミでも見るかのように一瞥した後、千乃はいったんそれを無視し、妹の方へと向き直って心底申し訳なさそうに頭を下げる。
「……ごめんなさい。気づくのが遅れました」
「お、お姉さま……?」
「あと、つい二人を殺してしまいました。これじゃあ復讐できませんね……。でも一人は残っているから」
「ま、待って、どういう――ことなの? わけ、わかんない……?」
震える妹を、千乃は困ったように見返した。
うまく説明できる自信が無かったからだ。
「ん……そうね。詩乃、あなたにも力をあげましょう。今は大したものではないけれど、この世界の人間はとても脆弱だし、これでも十分かな」
言うが早いか。
千乃は恐怖に打ち震える妹の唇を、優しく塞いだ。
そして譲り渡す。
自分の力と記憶の一部を。
最初は突然のことに混乱していた詩乃も、やがてその瞳がとろん、となり、なされるがままに千乃の舌を受け入れていた。
しばしして、透明の糸を引きつつ千乃の唇が離れていく。
それを名残惜しそうに見つめる詩乃。
「お姉さま……。もっと……」
「あら。詩乃はそういう趣味もあったの? ふふ、いいですよ。可愛い妹の望みですもの。何でも叶えます。何ならこの世界は詩乃のものにしてしまいましょう。うん、我ながら良い考えですね」
そう一人で納得する千乃の見せる表情は、それまで詩乃が見たことが無いくらい妖艶で、神々しく、超然としたものだった。
たった今、ここで行われた虐殺など気にもならないくらいに、詩乃は千乃に魅了されたのだ。
「今すぐは……してくれないの……?」
「いいですけれど、あれに見られたままでも良いと言うのなら、ね?」
すっと、千乃の視線が田宮に流れる。
つられるように、詩乃の視線も。
そしてその邪魔者を認めた瞬間、詩乃に言いようの無い不快な感情が走ることになる。
こつり、とローファーの踵を鳴らして、詩乃が一歩前に出る。
もう一歩。
たった数歩で腰を抜かしている田宮の眼前に、足を踏み入れていた。
「た、たたた、頼むから、たす、たす――うぎゃあ!?」
地面にできた染みを見つけた瞬間、詩乃の足はほぼ無意識に動いていた。
田宮の股間目掛けて、ローファーの爪先をねじ込む。
ぐじゅり。
思いの外あっさりと、田宮の股間についていたものは靴底で弾けたようだった。
その感触に、詩乃に一気に火がついてしまう。
「うぎゃあああああああああっ!?」
その残滓を愉しむかのように、しばらく股間を踏みにじっていた詩乃だったが、あまりの品の無い悲鳴に眉をひそめ、その口めがけて反対の足の爪先を蹴り込んでやった。
「おぼっ!?」
それは見事に命中し、大半の歯を散らして頭蓋にヒビを入れるほどの衝撃をもたらすことになる。
「ふうん……。けっこう、脆いんだ?」
爪先を引き抜けば、唾液と共に大量の赤いものがローファーに付着し、それが糸を引いて落ちていく。
「か――あ」
今の衝撃で脳でも揺れたのか、田宮はそのまま物言わずにひっくり返ってしまった。
「?」
詩乃はそれを何度か足蹴にしてみたが、もうそれらしい反応を示さない。
気絶してしまったらしい。
「……簡単に気を失わせるようでは、まだまだですね」
いつの間にか、詩乃の隣には千乃の姿があり、苦笑してそれを眺めていた。
「お姉さまなら、もっとうまい?」
「わたくしですか? そうですね。もう少しだけ、上手かもしれませんね」
「えっと、教えてくれたり……する?」
詩乃は千乃に抱き着くと、自分よりもやや上背のある姉の顔を、上目遣いで見上げた。
返ってきたのは、当然の微笑。
「もちろん」
「やった♪」
千乃は喜ぶ妹を慈しむように眺めたあと、そっと顔を寄せて、真下にあるものを視線だけで示した。
ひっくり返った田宮。
その頭部には、真っ黒なストッキングに包まれた千乃の足が、すでにあてがわれている。
しかしその靴底は脳天にあり、口蓋の部分はこれ見よがしに空いていた。
意図を悟った詩乃が、くすりと笑む。
そして自身の足を、その空いた場所に乗せたのである。
準備万端。
それを見とった千乃は、再び詩乃の唇を自分のもので塞いだ。
「……ぁん」
その今まで経験したことの無い姉の舌使いに身を震わせて、それを我慢するがごとく、やがて足に力が込められていく。
ミシ……ミシ……。
不吉な軋む音も、もう詩乃の耳には届いていない。
そんな状態が数分も続けば、憐れな田宮の頭蓋など、ただのゴミくず同然となって然るべきだったのである。
バギバギバギバギッ!
砕け散った頭蓋骨。
飛び散った脳漿。
そんな地獄を演出する足元など見向きもせず、二人はただ、心ゆくまで欲望を満たしたのだった。